この記事でわかること
- カッツモデルの簡単な概要
- カッツモデルができた背景や経緯
- 1950年代までのアメリカ経済と経営学の歴史
- カッツモデルが現代でも使える理由
Tokky(とっきー)はじめまして!
社会人半年で現場管理職、2年目でマネージャークラスの業務をこなすようになったTokky(とっきー)です!
カッツモデルとは、役職に応じて管理職に求められる3つのスキルのバランスが変化することを示した理論です。
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このモデルは1955年に提唱されたことから一部では古いと指摘されることもありますが、現代でも基本のフレームワークとして広く参照および活用されています。
そこで、今回は、
について、詳しくお話ししていきます。



最後まで読めば、“なぜ現代でも使えるのか?”という理由も分かるため、ぜひ最後まで読んでみてください!
カッツモデルができた背景・経緯
カッツモデルが提唱された1955年のアメリカでは、第二次世界大戦後による経済成長から次のような様々な変化や発展が起こっていました。
- 産業構造に関連する変化
- 労働市場に関連する変化
- 企業の大規模化
- 経営学・組織論の発展
- 学問・教育の発展
産業構造に関連する変化
まず、技術革新による機械化から大量生産・大量消費社会になったことに伴い、特に自動車産業や家電産業などの製造業と石油化学産業が急成長を遂げました。
そして、経済や産業の急成長による賃金上昇に伴って中産階級も成長し、家電製品や自動車などの耐久消費財が普及していきました。



このことによって、郊外化(サバーブ化)※や家庭における生活スタイルの大きな変化などが起こりました。
※郊外化(サバーブ化)とは
都市中心部から外れた郊外地域へ人々が移住することによって、その地域に都市的要素と農村的要素が混在するようになる変化のプロセスです。
加えて、これら2つの現象は、次のようなサービス業の成長ももたらし、またその結果として産業の中心をサービス業へと移行させていきました。
- 金融業
- 不動産業
- 教育/ヘルスケア
- 小売業
- 飲食業
- 広告業
- 娯楽産業
労働市場に関連する変化
先程お話しした産業構造に関連する変化があったことに伴って、労働市場ではホワイトカラー※が増加し、ブルーカラー※の割合が相対的に減少していきました。
※ホワイトカラー&ブルーカラーとは
- ホワイトカラーとは
-
主に事務職や管理職、専門職などの知的または専門的なオフィスワーク業務を行う労働者の総称です。
- ブルーカラーとは
-
主に製造業や建設業、運送業、整備業などで肉体的労働または物理的な作業を行う労働者の総称です。



現代のアメリカの労働市場の特徴は、この時代から形成され始めたものと言えます。
さらに、戦争によって男性労働者が戦場に動員されたことから女性の労働機会は増えていたのですが、戦後も職場に残ったことで女性労働者の数が増加していきました。
他方、1950年代前半ではこのような変化や社会的情勢、労働需要の高さなどから労働組合の影響力が強かったとされています。
そのため、当時は、労働条件や賃金などにおける企業側の交渉が難しくなっており、またそのことが問題視されていました。
企業の大規模化
一方、経済成長による産業の急成長や労働者の増加などに伴い、多くの企業の規模も急速に拡大していきました。



特に、急成長を遂げていた自動車産業では、ビッグスリーと呼ばれる大規模な組織が台頭し始めました。
- ゼネラル・モーターズ(GM)
- フォード(Ford)
- クライスラー(Chrysler)
この企業規模の拡大は、分業化や組織の階層化などによる専門化、組織の複雑化などをもたらしました。
加えて、産業構造や労働市場に関連する変化によって、単なる作業遂行ではなく、労働者に協力や適応などといった多様な役割を企業は求めるようになりました。
それらのようなことが相まった結果、管理職の重要性および必要性が高まり、またそれに伴って需要も高まっていきました。
ここで、この需要の高まりによる管理職の確保において、当初、企業は現場で優秀だった者を昇進させることで対応していました。
しかし、管理職に求められる能力・スキルやマネジメントが高度化していたため、昇進した者が必ずしも優れた管理職になるとは限りませんでした。



ちなみに、このような現象は、後にピーターの法則として説明されています。
※ピーターの法則とは
「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおの無能レベルに到達する。」
引用:[新装版]ピーターの法則 「階層社会学」が暴く会社に無能があふれる理由
そのことから、単に現場で優秀だった者を昇進させるのではなく、企業は管理者の育成を行う必要が出てきました。
経営学・組織論の発展
ここまでお話ししたような変化や事象があったことと並列して、次のような経営学や組織論の発展もありました。
科学的管理法(テイラー・システム/テイラリズム)の提唱
成行き的管理※1による組織的怠業※2を排除するために、1911年にフレデリック・テイラーは科学的管理法を提唱しました。
※1 成行き的管理とは
直感や経験などに基づいた管理の仕方のこと。
※2 組織的怠業とは
外的要因によって組織に属するある個人(労働者)が意図的に労働や活動を怠ることで他の個人(労働者)も同様に怠るようになり、その結果として組織全体の生産性が低下していく現象を指します。
この手法によって生産性が飛躍的に向上した一方、労働者の疎外※や抑圧が問題提起されました。
※疎外とは
引用:コトバンクー疎外(読み)ソガイ デジタル大辞泉&精選版 日本国語大辞典
- デジタル大辞泉
- 嫌ってのけものにすること。
- 人間がみずから作り出した事物や社会関係・思想などが、逆に人間を支配するような疎遠な力として現出すること。また、その中での、人間が本来あるべき自己の本質を喪失した非人間的状態。
- 自己疎外※
※自己疎外とは
- ヘーゲル哲学で、ある存在が自己の本質を本来的自己の外に出し、自己にとって疎遠な他者となること。疎外。
- 初期におけるマルクスの哲学で、資本主義のもとでの人間の非本来的状態をいう。疎外。
- 精選版 日本国語大辞典
- よそよそしくすること。きらってのけものにすること。疎遠。疎斥。
- 哲学で、人間が、事物や他の人間とかかわるうちに、自己から引き裂かれて本来あるべき自己の本質を奪われてしまい、自己にとって疎遠であるという状態。自己疎外。ヘーゲル哲学では、人間が自分の内にあるものを外に出し、外に出した自己を他者として、よそよそしいものとみなすこと。
人間関係論(ヒューマン・リレーションズ/ホーソン実験)の誕生
この問題提起を基に、1927年、1924年から1932年にかけて行われたホーソン実験から人間関係論が誕生しました。
チェスター・バーナードの『経営者の役割』の発表
そして、1938年には、チェスター・バーナードが『経営者の役割』を発表しました。



この著書では、経営者の役割は主に3つあると述べています。
ファヨールの管理過程論の普及
一方で、戦後における様々な変化や発展に伴い、1949年の英訳を契機として1916年にファヨールが提唱した管理過程論がアメリカで紹介され、またその後に広く知られるようになりました。



ちなみに、このような流れからカッツモデルはファヨールの管理過程論を軸に主に3つの理論の影響を受けて提唱された理論であると推察されています。
学問・教育の発展
学問・教育の発展に関して、先程話した経営学や組織論だけでなく、心理学や行動理論などの分野でもありました。
リーダーシップ理論において、当初は“リーダーには生まれ持ったカリスマ性や知性などの資質がある”という特性理論※が主流でした。
※特性理論とは
様々な状況において現れる誰もが持つ行動傾向のことである特性をその人がどのくらい持っているのかという量で分類しようとする考えです。
その理由は、“優れたリーダーは生まれつきリーダーとしての才能を持つ”という考え方が根強かったためです。
しかし、優れたリーダーに共通する決定的な特性が見つからなかったため、1950年代に入るとこの考えの限界が指摘されるようになりました。
その一方で、特性ではなく特定の行動によってリーダーシップは発揮されるものであるとする行動理論が発展していきました。
このことに加え、企業の大規模化による管理者育成の必要性が出てきたことなどもあり、
というような考え方が注目され、またその認識は広がっていきました。
さらに、そのような流れや背景は、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)をはじめとするアメリカの大学でマネジメント教育を発展させました。



このようなことに伴って、「管理職にはどのような能力が必要か?」という議論が活発になり、その中でカッツモデルが生まれたとされています。
この記事の要約



今回のお話しをFAQ形式で要約してみました!
カッツモデルとは?
カッツモデルとは、役職に応じて管理職に求められる3つのスキルのバランスが変化することを示した理論です。
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詳細は以下の記事をご覧ください!


カッツモデルが提唱されるまでの経緯やその時の背景は?
カッツモデルが提唱された1955年までのアメリカでは、第二次世界大戦後による経済成長から様々な変化や発展が起こっていました。



そのようなことから、カッツモデルは主に次のような背景や経緯から提唱されたとされています。
- 産業構造に関連する変化
- 労働市場に関連する変化
- 企業の大規模化
- 経営学・組織論の発展
- 学問・教育の発展
1950年代頃のアメリカの産業にはどのような変化があったの?
1950年代くらいのアメリカの産業構造には、主に
- 自動車産業や家電産業などの製造業と石油化学産業の急成長
- サービス業の成長に伴うサービス業の産業中心化
という2つの変化がありました。
これらの変化は、技術革新による機械化から大量生産・大量消費社会になったことが大きく関係しています。
そして、このような産業の変化に伴い、
- 経済や産業の急成長による賃金上昇とそれに伴う中産階級の成長
- 家電製品や自動車などの耐久消費財の普及
- 郊外化(サバーブ化)※
- 家庭における生活スタイルの大きな変化
なども起きました。
※郊外化(サバーブ化)とは
都市中心部から外れた郊外地域への人々の移住によって、その地域に都市的要素と農村的要素が混在するようになる変化のプロセスです。
1950年代頃のアメリカはどのような労働市場だったの?
ホワイトカラー※が増加し、ブルーカラー※の割合が相対的に減少するという現代のアメリカ労働市場と近い特徴が形成され始めていました。
※ホワイトカラー&ブルーカラーとは
- ホワイトカラーとは
-
主に事務職や管理職、専門職などの知的または専門的なオフィスワーク業務を行う労働者の総称です。
- ブルーカラーとは
-
主に製造業や建設業、運送業、整備業などで肉体的労働または物理的な作業を行う労働者の総称です。
さらに、戦争によって男性労働者が戦場に動員されたことから女性の労働機会は増えていたのですが、戦後も職場に残ったことで女性労働者の数が増加していきました。



ちなみに当時の労働組合の影響力は強かったため、労働条件や賃金などにおける企業側の交渉が難しく、またそのことが問題視されていました。
企業が大規模化したことによって何があったの?
まず、企業の大規模化によって、分業化や組織の階層化などによる専門化、組織の複雑化などがもたらされました。
加えて、それらに伴って管理職に求められる能力・スキルやマネジメントの高度化なども起きました。
これ以外のことも相まった結果、管理職の重要性および必要性が高まり、またそれに伴って需要も高まっていきました。



さらに、管理者の育成を行う必要も出てきました。
カッツモデルができるまでのアメリカにおける経営学・組織論の発展の歴史は?
カッツモデルができるまでの経営学・組織論の発展は次のような形です。
- 1911年
-
科学的管理法(テイラー・システム/テイラリズム)の提唱
- 1927年
-
人間関係論(ヒューマン・リレーションズ/ホーソン実験)の誕生
- 1938年
-
チェスター・バーナードの『経営者の役割』の発表
- 1949年
-
ファヨールの管理過程論の普及



ちなみに、このような流れからカッツモデルはファヨールの管理過程論を軸に主に3つの理論の影響を受けて提唱された理論であると推察されています。
カッツモデルができるまでの学問・教育の発展はどんな感じだったの?
カッツモデルができるまでの学問・教育の発展に関して、先程話した経営学や組織論だけでなく、心理学や行動理論などの分野でもありました。
リーダーシップ理論において、はじめは特性理論※が主流でしたが、1950年代に入るとこの考えの限界が指摘されるようになりました。
※特性理論とは
様々な状況において現れる誰もが持つ行動傾向のことである特性をその人がどのくらい持っているのかという量で分類しようとする考えです。
その一方で、行動理論の発展や企業の大規模化による管理者育成の必要性が出てきたことなどから、
というような考え方が注目され、またその認識が広がっていきました。
そして、このような流れや背景は、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)をはじめとするアメリカの大学でマネジメント教育を発展させました。
まとめ|現代の組織構造や組織論、マネジメント理論の土台が相互に影響し合いながら形成され始めた時期
今回は、カッツモデルができた背景や経緯についてお話ししてきました。
その内容を踏まえ、マネジメント的観点からカッツモデルができた背景や経緯を一言で簡単に言うと、
と言えます。
そのため、一部では古いと指摘されるカッツモデルが現代でも使える理由は、
ということになります。



その詳しい内容は、別の記事でご紹介します!








